『公務員の仕事シリーズ 外交官の仕事がわかる本 改訂版』(法学書院・2006年10月)に掲載

「日本の良さを世界のために」

紀谷昌彦


世界の中の日本

 「外務省の仕事」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?丁々発止とやりあう外交交渉。華々しい首脳外交や国際会議。あるいは外交団を招いてのレセプションでしょうか。それぞれが外交の大切な一面です。しかし、そのような活動の根底には、今の世界がどのように動いており、日本がどのように関わっていくべきかという問題に対する深い理解と洞察、そして賢明な判断と行動が必要です。

 日本の国益は、他の国々や世界全体の利益を視野に入れて、初めて実現できるものです。相手がいる世の中で、「一人勝ち」が永遠に続くことはあり得ません。特に、今の世界では、安全保障や政治、経済、文化などあらゆる側面でお互いが深く結びつき、協力と競争が同時に進行しています。その中で、日本はとても大きなプレイヤーです。日本が自らの強みを生かし、世界の平和と繁栄に貢献すれば、自らの思いを実現するとともに、各国から評価されて、自国の利益や発言力を確保できるのです。外交とは、いわば「共通利益を創造する芸術」です。そして外務省は、その戦略を考え、実施をプロデュースする組織なのです。

 これから、私自身の経験や仕事を紹介することを通じて、その一端を皆さんにお伝えしたいと思います。

外務省で仕事を始める

 私は北海道で生まれ、東京と横浜で育ちました。中学・高校時代はバスケットボールやエレキギターに熱中していました。外国に興味を持ち、ESSに入って苦手な英語の勉強に本腰を入れたのは大学に入ってからです。丁度、日本で模擬国連(国連会議のシミュレーション)のサークルが立ち上がり、大学3年生の春に、初めての海外旅行としてニューヨークの全米大会に参加して、国連本部に足を踏み入れました。その時、日本人として日本と世界のために尽くす仕事をしたいと強く感じて、今から19年前の1987年に外務省に入りました。

 最初は国連政策課で、局内各課のとりまとめが仕事の中心でした。英国への留学では、英語に苦労しながら国際関係論と国際法の修士号を取得しました。そこからアフリカのナイジェリアに赴任し、開発途上国にいる人々の厳しい現実を初めて目の当たりにしました。

 帰国後は直接防衛庁に出向して、航空自衛隊の運用やカンボジアへのPKO派遣に携わりました。外務省に戻った翌年の戦後50周年には、日英間の元戦争捕虜(POW)問題を担当して、しっかりとした歴史認識を持つことの重要性を痛感しました。会計課では、予算、営繕や福利厚生といった組織の足腰の強化に汗をかき、経済局に移ってからは、経済省庁やエコノミストと一緒に、アジア通貨危機後の国際金融システム改革などマクロ経済・金融問題に取り組みました。

 その間、人事院の公務員研修(課長補佐級)を機に、省庁・官民を横断する勉強会に毎月参加して、幅広い分野の行政のあり方について、考えを深めることができました。自国を理解し、より良いものにしようとする努力なしには、外交も力を発揮できません。東京での8年間は、瞬く間に過ぎました。

ワシントンでグローバルな開発問題に取り組む

 2000年の夏、米国ワシントンの日本大使館に発令され、経済班で開発・環境など地球規模問題の担当となりました。それからの3年間は、米国にとって、そして途上国の開発問題にとって、激動の時代となりました。2001年1月にブッシュ大統領が就任して間もなく、9月11日には同時多発テロ事件が発生し、アフガニスタンでのテロとの闘いと復興支援が課題となりました。翌年には、モンテレイ(メキシコ)での開発資金国際会議やヨハネスブルグでの環境開発サミットなど、一連の開発関連国際会議が開催されました。その翌年には、対イラク武力攻撃と復興支援が続きます。

 このような大事件、大行事の渦中で日々仕事をするなかで、グローバルな開発問題への日本の取り組みを強化していくことの必要性を痛感しました。

 ワシントンには、米国政府のみならず世界銀行の本部があります。そこでは、一連の国際会議を受けて、貧困削減戦略や成果主義、そして保健や教育など個別分野での新たな開発イニシアティブが次々と打ち出され、世界共通の目標に向けての国際連携が着々と進められていました。その背景には、2015年までの貧困半減などを掲げたミレニアム開発目標(MDGs)が国際的に合意されたこと、更に9月11日テロ事件を受けて、テロ対策の観点からも貧困削減は喫緊の課題と認識されるようになったことがあります。

 しかし、日本国内では、経済回復の遅れなどを背景に、政府開発援助(ODA)への批判が高まる一方でした。ODA改革も、国際的な取り組みを踏まえたものというよりは、むしろ内向きの対応が主な焦点となりました。他の援助国・機関との連携も、「日本の顔が見えなくなる」として力が入りません。日本の開発関係者の多くは、この「日本と世界のギャップ」、「日本の孤立」を懸念していました。

 そこで、2002年の春、ワシントンにいる外務省・財務省など関係省庁、国際協力機構(JICA)、国際協力銀行(JBIC)、世界銀行・IMF、研究者、NGOなどの邦人関係者が組織を超えて集まり、「ワシントンDC開発フォーラム」を立ち上げました。昼食持ち寄りのセミナー(ブラウンバッグ・ランチ)を毎週開催し、グローバルな開発問題について様々な側面から議論を行い、議事録や提言としてとりまとめ、東京をはじめ世界各地にインターネットで配信するのです。更に、メーリングリストも活用して政策論議を深めます。例えば、ODA大綱の改定の際にも、ワシントンを中心とした幅広い関係者の意見を、提言としてとりまとめました。このような組織を超えた政策論議の推進は外務省内でも評価され、大臣賞(川口賞)を授与されました。

 このようなオールジャパンの議論を基盤に、対外発信にも努めました。ワシントンは政治の街です。シンクタンクや大学のセミナーに発表者や参加者として加わり、日本の開発政策について論陣を張りました。また、ジャマイカ、ローマ、オタワなど海外で開催された開発関係の会議にも駆り出されました。

途上国で現地機能強化を推進

 2003年秋からは、在バングラデシュ大使館に赴任しました。1971年に独立した典型的な途上国です。様々な国や国際機関の支援を受けており、「開発援助の見本市」とも言われます。途上国の開発のために、日本は一体何をすべきなのでしょうか。ワシントンでの経験をもとに、今度は経済協力班長として、現地で正面から取り組む機会を与えられました。

 まずは、日本の総力を結集することです。現地では、大使館・JICA・JBICを中心とした連携の枠組みとして、「バングラデシュ・モデル」が動き始めていました。これを起点に、JETRO(日本貿易振興機構)、NGO、国際機関邦人職員、民間企業の参加も得て、定期的な勉強会の開催、メーリングリストウェブサイトの運営等を通じて、200人を超える関係者の情報共有を進めました。更に、組織を超えてセクターチームを編成し、セクター別援助方針やローリングプラン、それを踏まえた国別援助計画の作成に取り組むことで、現場の知見と工夫が援助戦略全体の立案と実施にしっかりと反映される政策と組織の体系を作り上げました。

 そのように結集した日本の力を基盤に、現地の援助協調の中でリーダーシップを発揮することが、更に大きな課題でした。バングラデシュの開発努力を支援するには、日本単独で行動するよりも、他の援助国・機関を積極的に活用する方が効果的です。そこで、世界銀行、アジア開発銀行、英国とともに、「共通国別援助戦略」の枠組みを構築しました。これらの巨大な援助機関の内部情報を入手するとともに、インフラ重視や人間の安全保障など日本のアプローチを全体の取り組みに反映させます。また、国際的に推進されている「援助効果向上」という課題について、バングラデシュでは日本が援助国・機関側の取りまとめ役となり、「行動計画」の策定に中核的な役割を果たしました。

 大使館では総務班長も兼任し、「開かれた大使館」の実現にも努力しました。在留邦人とバングラデシュ人それぞれに向けての大使の年次政策講演会や、日本語と英語のメールマガジン配信などを新たに企画しました。政策面での対外発信を強化したことで、バングラデシュにおける日本、そして日本大使館の存在感と役割を向上させることができたのではないかと思います。

そして平和構築へ

 5年半の在外勤務を経て外務本省に戻り、2006年4月から国際平和協力室長に着任しました。国連平和維持活動(PKO)に関する日本の政策が仕事の中心で、個別のミッションへの参加をはじめ、人材育成や制度整備など様々な課題に取り組んでいます。

 武力紛争の形態が国家間の紛争から国内のコミュニティ間の内戦に大きく変化する中で、紛争国の「平和構築」が大きな国際的課題となっています。これに対処するためには、世界も日本も、政治・治安・人道・復興開発など幅広い関係者の共同作業が必要になっています。例えば、昨今のPKOも「統合ミッション」へと変貌しています。

 先般、国際機関、NGO、研究者の方々とともに、「平和構築フォーラム」の立ち上げに参画しました。幅広い関係者のネットワーキングを通じて、日本の知見とツールを総動員し、質の高い貢献を実現していきたいと考えています。

日本の良さを世界のために

 外交の仕事には、様々な側面があります。そのなかで、私自身の経験を通じて大切と感じているのは、「日本の良さを世界に生かすプロデューサー」としての役割です。世界をより良いものとするために、日本が付加価値の高い貢献を行えば、日本の考え方や価値観を広め、存在感を高めることができます。これは、日本自身にとっても大きなメリットを生み出します。

 このためには、まず日本の良さを理解するための幅広い好奇心、知性と感性が必要です。様々な分野の人たちを巻き込み、情報とネットワークのハブ(結節点)となるためのコミュニケーション能力も大事です。それぞれの持ち味を活かすための構想力、それを実際の行動に移す実行力も重要です。何よりも、日本の良さを世界に生かすという夢を信じ、熱く語り、実現しようとする情熱が不可欠です。

 外務省は、世界と日本を結ぶあらゆる分野に関係しています。その果たす役割、更に果たし得る潜在的な役割は大きく、その責任は重大です。世界の中の日本というキャンパスを前に、夢を持ち、絵を描き、そして率先実行するリーダーシップが必要です。外務省の財産は、世界中でそのような役割を担う個々の「人」なのです。皆さんも、是非外務省で、自らの夢を、日本を通じて世界の中で実現してください。

(以上)

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